明治時代

自費出版本のまえがき

Photo_5 本書は、明治時代に教師として生きた一人の人間の真摯な記録です。

右の写真に見ていただける通り、原本は和紙に毛筆書きされた草書体、上代仮名まじりのもので、原稿に起こすには、その一字一句を辿り辿って、初めは手書きで、その後ワープロで打ち直し、完成するには数年の歳月を要しました。その長い作業を続けているうちに、いつしか書き込まれた行間から、人一人の一生がこんなにも哀歓に満ちていて、また現代では考えられないほど細やかな文通、生々しい人の往来交友の、なんと深く豊かであったかという感慨が湧いてまいり、どうしても一人でも多くの方々にこれを読んでいただきたいという願いを抱く原動力になりました。

もともと人の目に触れることを考えずに記された日記のこと故、いくつかの錯誤も、また壮年期には筆の勢いから、登場する方々への配慮を欠いた記述もあろうかと思います。その点はよろしくご寛恕下さるようお願いいたします。

出版にあたりましては、ルビをふるか、現代では難解な語句に解説をつけるか、更に、当用漢字、現代仮名遣いに改めるかなど種々考えましたが、敢えて原文のままとすることによって、記録者の簡潔硬質な文体を維持し、その息づかいをそのまま感じていただいた方がよいのではないかと考えました。

煩わしい語句はとばして読んでいただいても、十分大意はおわかりいただけると思いますので、どうぞご一読下さいますようお願いいたします。

二〇〇三年 三月 末日      三女

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明治三十九年(1906年)一月一日 月曜

雪。昨日までは雪殆ど消え失せ雪殘り少なうなりしが、本朝に至り寒さのまさりけると共に六花の繽紛たるをみる。地面のけがれたる草木のさびしげなりしは、とみに銀色にかざりなされて景色よし。

起居身體 午前六時半起床す。午前九時粗末なる雜煮を食ふ。

行事交際 雜煮を認め終りたるまもなく鈴木村長來校せられ、尋で高橋君自宅より歸校せらる。午前十時十五分前までに四方拜式場の整頓ををへ、十時式を始め、十一時終りて來賓一同と祝酒を傾く。來賓は二人を除く外十二時解散せられ、二人は密談やありけん、其後知らざる間に退出せられたり。

四方拜中に於ける予の誨告次の如し

本年は日露の交戰すでにやみ、平和の新年を迎へたるものなり。平和は天人の等しく希望する所にして、干戈を交へ多大の人命と財政とを之に投ずるも亦、希ふ所は平和を得るにあり、平和はすでにかかる絶大の希望を囑せらるゝもの、而して人々其業を成し、社會を組織し國家を成立し、益以て之を進歩し改良し、自己の天性を發揮するは一として平和の間に於てすべきにあらざるものなし。平和ならざれば事就りがたく敗るゝのみ、故に平和は吾人の一日も忘るべからざるものなり。又轉じて人生の幸福を考ふるに、平和に浴するにまさるものなし。假之顯位に上り巨萬の財を貯へたりとて心平ならざるもの和せざるものは、人爵の卑きに甘じ、赤貧に處して尚心常に和して平なるものに比すれば、其身の幸福は之に及ばざること遠し。故に平和は吾人の生命とも稱すべきなり。平和なる國家は益榮え平和なる社會は益進歩し、平和なる家庭は愈昌に、平和なる人樂んで向上するを得べし。學校亦然り、教員平和、兒童平和なれば愈學業進歩し、德性向上すべし。嗚呼平和なるかな、平和を常に心に措け、さはいへこゝにまた忘るべからざるは亂なり戰なり競争なり勝って兜の緒を締むる事なり。假之平和は尊ぶべく希ふべしとて、優柔に流るゝが如き事あるべからず。必ず一點の締處なかるべからず、和ぎ足るなかに犯すべからざる凛乎たる氣概なかるべからず。かくありてこそよく平和を保たるべけれ。

昨年八月本校准訓導の職を退き、現在高田師範學校内尋常科一年講習科に於て學習中の田中君〔政次郎〕來校あり。四方拜式に臨まれ教員一同に羊羹五本の寄贈ありたれば、式終りて後、予等一同は此羊羹に尚二十錢分の菓子を加へて、同君を主賓とし高等科生渡辺まつ子、伊藤いく子、及び昨年三月本校高等科を卒業したる山本かず子の學校に居たるを加へて、宿直室に於て茶菓會を開き、かるたの戰をなす。中村君は事故ありとてかるた戰の開會前にさられ、かるた戰二次の後、斎藤、加藤の兩子は歸宅せんとて辭されば、いなみがたくつひに二子はさられ、かるた會もこゝに終りを告げぬ。かるた會をはりし後、田中君はいく子、かず子に催眠を施したれど何れも失敗に歸したり。かず子に施術中、鈴木勇七君〔渡辺勇一君の弟にて福戸村鈴木音吉君養子〕來訪せらる。其後まもなく三女子ともさり、高橋君、田中君相尋いで歸宅せられば、予は書初をものす。其語に曰く

   靜窗、心平則氣自和

尚此他拙き和歌などもものす。

勇七君去られ、書初ををへたる後、日は暮れたれば冷飯を温めて味噲菜もて、そこそこに夕餉をしたため、渡辺勇一君がりへ年禮にまうで、雜談數刻をうつし午後十時歸校し日記を認む。渡辺君の進物は三盆砂糖一斤にして、是れ例年の定めとせるものなり。

所感 本年よりは朝寢の癖を斷然廢すべし。予に從來朝寢の癖ありて學校の休日など、急務なきに於ては頗る睡眠を貪り、殊に晩秋より初春に至る間は起床或は九時十時になり、爲に日の短きを感ずる事多し。是甚だ嫌ふべき惡習にして事業の進行を妨ぐる事尠とせず、故に本年よりは斷じて此貪眠の惡習を打破すべし、然れども予の朝寢を貪るはまた幾分身體上の關係、之を然らしむるものなきにあらず、されば假之早起すとはいひながら體の健康度に適せざる過度の早起は敢て期する所にあらず。之を要するに普通の睡眠は之を減ぜず、即ち約八時間の睡眠を常例とすべし、故に若し事故の爲就褥の時遲る時は、翌朝の起床も從而早からざるべし。ここに就褥時、起床時の常則を定むる事次の如し。

一、九時就褥 五時起床   四月より六月迄

二、九時就褥 四時半起床  七月より九月半迄

三、十時就褥 六時起床   九月下旬より三月迄

攝生五則

靜慮   心靜ならざれば、みだりに精神を勞し身體の健康を害す

正眠   眠正しからざれば、身體疲勞して體力を滅殺す

快遊   愉快に遊ばざれば、身心に生氣なし

水浴   一は皮膚を健全にし、一は正課に服する良習を養ふ

深呼吸  内臟を強健ならしむ。元氣を旺盛ならしむ

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明治三十九年(1906年)一月二日 火曜

雪。強風に白砂の如きこまかき雪まじり吹雪窓をおそふ。

起居身體 寒ければ痔疾の苦もいさゝか感ぜられる。起床午前七時前にて、昨夜十二時過就褥したれば、ついに睡眠を過分にむさぼりしにはあらねど起床おくる。

行事交際 朝より午後五時に近き頃まで、昨年末渡辺繁雄君〔不仙と號す〕より依頼せられたりしワットマンペーパー〔繪はがき臺紙〕に水彩畫をものす。畫は予の能せざる水彩なれば成績不良、日暮に至りてやうやく仕上げ得たるもの僅に三葉に過ぎず。午前十一時過新開地に住する吉田惣藏といふものより、きり蕎麥一重を贈らる。此かへりに蠟燭二挺を遣す。

午後五時過、東京なる兄上宗吾さん、甚五郎殿、阿部謹三郎君其他より年賀状着す。兄上よりの書中に、かねて交渉しおきたる佐々木家東京へ移轉の件につき返事あり。愈、荒巻地内に有する耕地の外脇川新田地内にある耕地全部と家等とを賣却して都合の成り次第、東京に移住する事に決した故、其意を以て萬事取計らはれたしと、又金十二圓を送らる。

甚五郎、阿部君より繪はがきを予と爲二殿と松本實君に贈られ、かつ予が兩氏上京せられてより以來語らふ友を失ひ、頗る寂寞を感じ此休暇には歸省するも、爲二殿さへ歸宅せずしてさびしき事のみなれば、學校籠城すとの事にいたく同情をよせられ、予を頗るなぐさむべき事どもかきつらねらる。

午後五時過、蒼惶歸裝をとゝのひ風雪ををかし、日すでに西山に没し四面朦朧たる頃、校をたち出歸宅す。家には母上と重義殿、榮殿と炬燵を守り、いとさびしげに何事か語りゐられしが、予の歸宅したるをみて頗るよろこばれ、母上は予が數日前より痔になやみをり、ことによらば長岡町井上病院に入院して治療を受けん心算なりなど、もらしたることありければ、若しやそれを實行し、今は病室にありてさびしき松の内を暮すかなどと、いたく心を痛めゐたりなどかたる。あゝ親を思ふ心にまさる親心なり。予の痔疾も近日は頗る平瘉に復し、昨年末、渡辺醫師の診察を受けたるも、治療の必要なしといはれしと答へたれば、いたく安堵の思をせられぬとみえたり。それより粥のあたゝめかへし、豆腐汁、燒鹽引などの獻立なる夕食をいたゞき、兄上より申し送られたる東京移住の件をかたる。母上は東京生活は、耕地全部を賣却せざれば困難ならざるかとて、頗る不安の念をおこされたる様にみゆ。姉上季崎なる實家阿部さんにまねかれ、今日午後与板町に買初に行きてかへり、夕方に至り虎雄殿をつれて同家へゆかれたりと。

所感 あゝ此家庭の何ぞさびしきことよ、時は正月なるに、母上はたゞ二人の兒童と屏風をたてまはして炬燵を守りつゝ、麻紡みゐられし事よ。

兄上よりの送金につき、兄上の辭に曰く。少金なれど財布を捻りて出し得たるなれば、惡しからず御受取りありて母上様へ鹽引の一切も多く差上げくれとあり、母上に此事を申し傳へたる時、母上もいたくよろこばれ龜三郎は上京以来未だ一文の金も送りし事なく、たゞ乏しき財政をわれに委せたりしが、今送金したるか、これでこそ我子なれと。ああ子たるものいかにへだたりをるとても、親に對する實質上の孝養も怠るべからざるものかな。

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明治三十九年(1906年)一月三日 水曜

明治三十九年(1906)一月三日 水曜

雪。風は前日に比すればやゝやはらぎたれどなほ雨戸をゆすり雪をとばす事頗るしげし。

起居身體 起床午前九時、數日來の疲勞あり、睡眠不足ありたれば起床をおそくす。

行事交際 朝食を喫して与板に行き、兄上より送金せられし金拾圓を郵便局にて受取り、八百屋木村さんに至りて年禮をつとめ、二三の買物をなし、尚佐々木家は愈東京移住に決したるを告げて歸宅す。

本日長岡の僧の林某の數日前より脇川新田に説教の爲來られしものを請じて泊さす。夜説教あり。予は惣代清水儀三郎氏方に行き、代人、山崎氏及び同家に來合せゐられし惣代森善三郎氏代人同乙五郎氏に對し、佐々木家が村内開田事業に加盟せず、あくまで舊の畑地にすゑおくについては、耕地を如何に處置すべきか、一括して一所にとりまとむるか、若しくは村内にて耕地全部をひかへ作り呉るゝか、又は全部かひ受け呉れざれば、開田上、畑地を混じおきては甚しく相方〔開田者、非開田者〕不便多からん故、前提議の三者中の一に是非共開田成功前に決せられたきを請求し、かつ是迄開田事業に關し、佐々木家が之に贊せざるより種々なる故障、異議らしき事を佐々木家及び同小作人に對していひかけたる事を詰る。之によって惣代二氏は明朝午前より村協議を開き、提議の件を決定する旨答へたれば、予も出席するを約して午後十二時辭しかへり、此談合の逐一を姉上に傳へ、かつは東京轉住問題につき種々協議をなし、翌日午前二時といふにふしどに入る。姉上は本日午後實家よりかへられたるなり。

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明治三十九年(1906年)一月四日 木曜

Photo_8晴。

起居身體 午前九時過起床、身體は疲れたる氣味なれど、さほどに衰えたりともおぼえず。

行事交際 朝食を喫する頃、すでに日中の説教に詣で來るもの多し。朝食ををへ支度をとゝのへて、池田紀宗太氏へ年禮の爲に出でたつ。此時十一時過にして説教ははじまれり。池田氏に至り例により手拭壹筋を呈して年禮を述べ、同家が一昨年火災にかゝり、昨年新築なりしものゝ屋内を一覽し、辭して、阿部氏に行き、佐々木家の耕地の處置問題及び東京移住問題につき一應の協議をなし、午後二時同氏に請うて、共に脇川新田村協議會に出席す。協議は午後三時に至りて會するもの阿部氏を除きて十七名となり、こゝに閉會し七時終る。予と開田者との交渉協議の結果、佐々木家の耕地は一括して向島中脇川新田耕地の北端にとりまとむる事と決し、予が意の殆どみちたる協約成る。此時阿部氏は耕地の實地について、予が不案内の點をきかまほしく、顧問として立會を請ひたるにて、之ありしにより大に協議も進行し、早く決定をみるを得たるなり。

歸宅後直に阿部氏と共に夕食を喫し、母上、姉上と四名して炬燵を守りて協約の結果をものがたり、次に東京移住の諸件につき協議し、翌日一時過就褥す。

所感 本日の交渉協議は頗る其協約の結果よろしく、予はステッセルが露國の講和全權委員として勝利を得たりしかの如き思をなしぬ。

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明治三十九年(1906年)一月五日 金曜

晴。

起居身體 午前十時起床、翌日午前一時過就褥。

行事交際 朝、小作人橋本源次、山下又五郎兩人を召して、三十八年度作地入附の勘定及び貸借物品金錢の勘定をなし、午後二時に至る。

午後二時前、阿部吉藏氏は辭し去らる。此後支度をとゝのへ我家をいでたち、かねて招かれゐし川西村大字宮關雲外寺、石川君方の新年宴會にまゐる。招かれ來りしものは爲二殿、ちい殿なり。夕食後百人一首うたかるた會を催し、數戰の後、夜食に餅をいたゞき、本月二日以降の日誌を多忙の爲に記するをおこたりゐたれば、之をしたゝめ翌日一時過、石川君方に泊りていぬ。爲二殿、ちい殿はかへる。兩人は此地中島さんに宿をかりをるものなればなり。

本朝年賀状數通まゐる。

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明治三十九年(1906年)一月六日 土曜

曇。霙に似たる雲ちらりちらり。

行事交際 午前七時起床、石川君宅にて雜煮の饗應を受け、十一時ここを辭して爲二殿の宿なる中島さんにゆき、母上より年玉みかん十個を呈して、母上と予との年禮を申しのべ、爲二殿に會して、開田一件に關して我家の耕地の處置問題解決の模様を告げ、長岡町にをらるゝ前田繁之助君へ年玉として兩人にて、白米一斗を呈する事とし、現下同君も白米の貯あるべければ、包にはたゞ白米一斗と書したる紙札をさし入るゝに定めて、之が包をしつらふ。正午、辭し去らんとしたるに中島さん主婦の御前祝酒を饗せんと申されければ、いなむも失禮と思ひ、玄關よりひきかへして之を受け、かつ晝食をもいたゞき午後一時に近き頃、こゝを出でたちて長岡にまゐる。

先づ藤田一石君を訪ひ、風呂敷壹筋〔代價十五錢位〕を年玉として呈し、年禮をのべ、四時前共に岡田嘯月先生を訪ひ、兩人して札幌ビール二本を年玉に呈し、年禮を申し上げ、日暮るゝ頃より九時迄酒肴、きりそば、餅なんどの饗應にあづかり、藤田君がりへかへりて泊る。

所感 岡田師、藤田君と酒宴中、畫道の談をたゝかはす。師は頗る氣焰高かり。

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明治三十九年(1906年)一月七日 日曜

曇。

起居身體 午前八時起床、元氣やゝおとろひたる心地す。是れ昨夜長時間酒宴の席につらなりて、をりをりは酒もいさゝかしたゝめなどしたる上に、長起して夜更したる爲なるべし。

行事交際 本日は藤田一石がりへ同君親類の主婦の方、入来との事にて、予と一石君は同君二階の一室にこもりて繪はがきを揮す。此はがきは昨年長岡町、筆墨商後藤吉助氏より二百の依頼ありしも多忙の爲尚五十枚出來せざりしもの、本日是非共悉皆かき上げん心算なるものなり。故に一石君よりも手傳をこひ、午前十時迄に雜煮の馳走なる朝飯をいたゞき、それより直に揮毫にとりかゝりて午後二時成功し、こゝを出でたちて後藤方に同居の前田君がりに行き、年禮を申す。進物は昨日爲二殿と協定したる白米一斗の札なり。午後三時こゝを辭し、歸路村上屋書店にたちより、明日我校教員及び渡辺勇一君、石川祐天君を招きて、新年祝酒を呈する振舞の準備として菓子一斤をかひ早々かへる。路あしく水雪といふが如き様なれば足進まず頗る困難す。歸校五時。

予の歸校前、斎藤千代子年禮にまゐられ、足袋二足を贈らる。

夕食前、近藤吉之助君算術をならひに來る。是れ昨年末の約なり。夕食後二時間程、予は校務整理の傍ら之に教授して後、渡辺勇一君を訪ふ。夕食中、渡辺君より歳暮として牛肉罐詰一箇〔三十錢位〕石鹸一箱〔二箇入〕を贈られ、之にそへて書状をたまはる。曰く妹すぎ志望なる來る四月入學すべき女子師範の入學試験に應ずる手續、及び一年講習入學の手續等を知るべき新潟縣公報を借りたし、同じく妹まつは來る九月募集あるべき女子六ヶ月講習に入學せしめたければ、之が準備教授をたまわりたしと。是等の件は同君を訪問して詳に説明し、かつは、まつ子の方針はとにかく時機の早きを諫めたれど、すでに此法をとる外に家事の都合上やむを得ずとの事故、是又教授を承諾す。

所感 今宵は高橋君と二人住にて數日さびしく感じたるに比して、ことにうれしき心地こそすなれ。

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明治三十九年(1906年)一月八日 月曜

晴。

起居身體 午前七時過起床、痔疾にやゝなやむ心地す。

行事交際 午前九時過より校内教室の整頓をなし、十時より控所に於て始業式をげ、終って兒童に書初をなさしめ十二時解散せしむ。去ぬる一日四方拜当日、學校に於て紛失したる高等科一學年生田中庚申雄の廻合羽及び外二名の合羽蓑帽子の他人のものと、とりかはしを質したるも分明せず。尚各自よく自己の用ふるもの等につき取調べ、心当たりのものは届出づべき旨を申渡す。

午後四時より予より教職員四名、渡辺勇一君、石川祐天君を招きて新年祝酒を獻ずる事にて、放課後直に之が準備にとりかゝる。午後六時過來客そろひたれば、こゝに宴を開き七時終る。酒は葡萄酒にて外に吸物、三種の酒肴、皿、及び汁粉、雜煮の饗應なり。食終ってかるた會、まはり將棋などして共に歡を盡し十一時解散す。加藤子より紺足袋一足、石川君より菓子一袋、中村君より豆腐七丁を札にて贈らる。爲二殿、ちい殿をも招きおきたるなれど來られず。午前九時前、石井作五郎君來り祝凱旋の大字揮毫を依頼せられたれば之を書し、午前中に出來せしむ。こは凱旋兵歡迎の折に扁額を製して凱旋門に仕つくるものと。坂本、伊藤文齊君〔当校高等二年いく子の父〕より年始として最中一袋を贈らる。

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明治三十九年(1906年)一月九日 火曜

晴。此頃は雪降らず雨も降らず雪は次第に消え失せて地面まだらに殘雪を見るに至れり。

起居身體 午前八時前起床、連日の睡眠不足の疲れにて、朝起きは頗る困難なり。此頃は晴天なれども寒氣頗るはげしければ痔疾もつのれる氣味にて大聲を出すには苦し。

行事交際 本日より學校の授業は正規の時間に於て正規の授業を行ふ。兒童の紛失したる廻合羽はみあたらず。中村、加藤二君へみかん五箇づつを進ず。

昨年十二月二十四日附にて郡役所より照會ありし童話傳説俚諺俗謡等調査の報告は明十日迄に差出すべきものなれど、照會の当時より今に至る迄、入學或は凱旋兵の歡迎送、學期末の校務其他の爲に多忙を極め、到底材料の収集をなし得ざりければ、報告期を約二週間延期許可ならずやと、郡視學の内意伺に書面を發す。

夕食後、遠藤繁一郎、青木秀一郎、近藤吉之助三君に教授す。

本日午後、昨日の新年宴に要せし物品購入代を藤井屋に拂ふ。金拾九錢也、外に吸物椀、小皿等借用代として金六錢を遣し、かつ校丁西村へ使賃其他、休暇中の慰勞として金貳拾錢を與ふ。

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