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明治四十年(1907年)五月七日 火曜

雨、信濃川大洪水。

起居身體 午前六時十分起床、歸宅午後。

見聞行事交際 桜井赤城君より來書あり。過日來の左腕腫物を癒せず、同腕全く不随意にて、治療するも容易に快瘉の見込もなければ、已むを得ず京都出發、東都に出でて、名醫の診療を受けたり。然れども京都大學醫の見立と同一なりし故、博覧會等一覽の上、去月十九日歸國したりとの報あり。いとゞ遺憾のことゞもなり。

重義弟の件につき母上、姉上と協議すべく、午後六時半學校出發歸宅す。母上、姉上と協議したる結果は次の如し。

重義弟を本月十二日上京せしむ。衣類は反物のまゝ持參せしめ、夜具は持參せしめず。

今夜尼二名泊り、夕食後讀經をなす。かれらの本意、果して眞に佛に歸依しゐるものか。

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