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明治四十年(1907年)四月十六日 火曜

大雨。

起居身體 午前六時四十分起床、午後九時半就褥。

見聞行事交際 午前脇川より使來り、米と赤飯及び煮〆とをおくりたまはる。本日は我脇川新田村社祭なれど、天候よからず、かつは明日教員協議會もあり、校務多忙なれば歸宅せざるなり。十六聯隊内近藤泰次郎君、高橋君よりはがき状來る。

脇川の使、次の二書をおくり届く。こは一昨日歸國せられし阿部大人夫妻が、東京より預り來呉れ給ひしものなるべし。

兄上より要に曰く、重義弟前途の方針については、宗吾殿、甚五郎殿とも協議したるに、

一、今宗吾殿方へ送りて店員として召使ふも、彼が前途の目的、八百屋店にあらずとせば、既に年齢も相應に長じをる事なれば、不利なる點あらん。何となれば遠からず徴兵に當るべく、さすれば愈前途の目的に進むに於て、中途に時を徒費する事とならん。

一、故に速に理髪業者か西洋洗濯業者たらしむる目的を立て、其の方へ弟子入りなさしむる方、可ならん。

一、しかし同弟は勉學の功を積みて尋常科正教員となる見込ありや。若し之あらば、阿弟許〔予が事〕にて之を教育し、一年講習科へ入學せしむる方針をとらしめたし。東京三者の意見は以上の三者なり。然れども同弟一生の大事なれば、尚熟考すべからんも、阿弟は篤と母上と協議の上、其意見を定められたし。

上の提案、予の提案を未だ了解なくてのものならざるか。

長岡女子師範學校三二學年生有志は、本日博覽會觀覽の爲、直通にて上京の途に上れりと。妹は一行に加はりしか如何に。

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