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2009年3月

明治三十九年(1906年)十二月廿日 木曜

風雨、夕方霙にまがふ雪降り積る寸に及びしも、夜に至り雨となりて消ゆ。

起居身體 午前七時過起床、午後十一時就褥。

行事交際 放課後兒童成績調査をなし、夜も之をなす。かつ兒童に與ふべき書初手本、尋常一二、高等一二學年を書く。尋常一はマツ、二は一松、高一は朝松、高二は龍松の文字にして、尋三は青松、尋四は盛松の豫定なり。三浦小一君より畫及び寫眞を送りし返禮挨拶あり。かつ曰く、廿二日三番上りにて上京の途につくべければ、君と長岡に會して一夜を語り明かさん、如何、同意ならば當日午後長岡停車場に出迎たまはれと。三浦君、予をおもふ、かくも切なり、いかで同意せざるべき。あゝ懐舊の談に冬の長夜をあかさんかも。

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明治三十九年(1906年)十二月十九日 水曜

風暴るゝ事甚しく、雨またまじる。信濃川渡船殆ど通ぜず。

起居身體 午前七時起床。

行事交際 朝歸校すべく渡船場に來り、船を待ちて午前十一時に及びしも、船は來ず。やむなく引返して長生橋を渡りて行かんと思ひしも、既に今日の授業の間に合はざるべければ、村上屋書店にて風の静まるを待ち、こゝに晝食の饗を應け、校用を辨じ、午後四時出發、偶、知己の船を槇下に下すにあひ、これに乗りて渡り歸校す。時に午後五時半。

學校本舎串木、風の爲に吹きとばされ、屋上を轉げ下りて、まさに堕墜せんとせしを、高橋君辛うじて舊に復したりと。

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明治三十九年(1906年)十二月十八日 火曜

曇。

起居身體 午前七時起床、午後十二時就褥。一石君方にて。

行事交際 午前十一時半出發、郡教育會評議員會〔郡役所〕に出席す。會は午後二時開かれ五時閉會し、來年度夏季講習は手工と教授法とを講習科目とする件を談合し、本年の教育品展覽會費不足額、寄附募集の報告あり。後、松壽軒に於て、忘年會〔實は慰勞會なり〕を開く。最後に基本金の件は先づ領袖議員に對し、其意見を質したるに到底見込なき形勢なるにより、以下の運動會は廢止す。

所感 去年の今夜、近藤佐市君病氣全快祝に招かれたりしが、其後同君病再發して、今は亡き人となりぬ。かなしいかな。

慰勞金令書來る。金額は予二圓五十錢、中村、渡辺兩君一圓五十錢、松田、高橋兩君一圓。

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明治三十九年(1906年)十二月十七日 月曜

雨。

起居身體 午前七時半起床、午後九時五十分就褥。

行事交際 大工清吉、數回の修繕手間及び增築工事費請求せんとて證明を求む。彼は仕事怠りがちなりしにつき、手間など精査して、彼の書上げより多少を減じて證明す。

夜業、兒童身體檢査統計。自習、習字。

所感 昨年の今日、斎藤大人は千代子妹轉勤希望一件につき、特に來訪ありしも、予出岡不在なりしにより、予への書を遺して去り給ひしを、午後六時頃妹來りて予に示したりしなり。さて今年妹より其事の動機たりしを聞きしに、村民が妹と予とに關係ありとの噂〔妹が予の病を看病しくれたるより〕をなすを、いたう苦しく思ひしによれりしなりと。あゝ予はこの轉勤問題の提出せらるゝや、いたく校の爲に良教師を喪ふを痛み、私情よりしては、かの温情花の如く親切あふるゝばかりの妹に別るゝの悲しみを想うて堪へず、奈何にして之を止めんの決心を以て、之に對したりしが幸なるかな其意は達せられ、而も今は妹と偕老の契さへ成りて、うれしく同棲の將來を想ふ身とはなれり。

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明治三十九年(1906年)十二月十六日 日曜

晴、氣温のぼる。

起居身體 午前八時過起床、午後十時過就褥。揮毫の爲やゝ疲勞を覺ゆ。

行事交際 母上より粳二斗、糯二升、小豆一升、香物、みそ、野菜、美濃かさ、柚子などおくりたまはる。此品我生命をつなぐべき材、而も慰勞間食の材あり。何ぞ、それ親恩の厚く深きや。子をおもふ親心、おもへば子たるものたゞ感涙に咽ぶのみ。あゝいともかたじけなし。この使、彦蔵老、源次妻。

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明治三十九年(1906年)十二月十三日 木曜

起居身體 午前七時半起床、午後十時十分就褥。

行事交際 芹川宮崎教宣君より牡丹餅三重を、當校職員一同に贈りたまはりたれば、午後四時二十分より宿直室にて會食をなす。味良。

とりつけの炭屋より炭二俵おくらる。之が目方を檢したるに甚しく目切あり。清吉大工、夜物置、雨具掛場增築工事請負ひ度き旨申來る。こは未だ村長との協議まとまらざるにより、決定次第挨拶すべき旨を答ふ。夜八時前、二學年教室備付の火鉢の底、燃え破る。

自習、習字、禪書。

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明治三十九年(1906年)十二月十一日 火曜

晴。

起居身體 午前八時起床、午後十時半就褥。

行事交際 午前十一時半出發長岡に行き、兩陛下御畫像奉安額の注文をなす。〔病院前の今井工場〕學校用錠、灰とほし等を買ふ。村上屋に千代子妹の託しおかれたる包を受取り、持ち來り開き見れば、先に誂ひおける手袋の外に頸巻あり、いとうれし、之には細書添はる。妹の近況報告及び本年末休業中、予が行動についての尋ねあり。妹は予が其家を年始に訪ふべきを、いまだ思ひおよばざるべし。西川すづる君〔妹の友人〕繪はがき二枚をおくらる。こは千代子妹が予の繪はがきをしばゝゞ送りやりしによりて、其謝禮なりと。同君は肺尖かたるにて、つひに退學を命ぜられしと。いとも不憫の事ともなれかし。

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明治三十九年(1906年)十二月七日 金曜

朝と夕雨。其外は曇。

起居身體 午前七時十分起床、午後十時半就褥。眠やゝよろし。

行事交際 高等二學年生、鈴木房子の羅紗廻合羽、昨日兒童雨具掛にかけおきたるが、紛失したりとの届あり。昨年も數點の兒童雨具紛失し、百方捜索したるも發見せず、全く外來侵入の竊盗と斷定し、駐在巡査の手を煩はせしも、尚發見せざりしが、今又この災禍あり。いまはしき極みなり。捜索方を巡査に依頼す。

自習、詠歌法、漢字の類似研究。

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明治三十九年(1906年)十二月六日 木曜

晴。

起居身體 午前七時起床、午後九時五十分就褥。眠不熟。

行事交際 美術新報到着す。長岡中野書店々員來校し、新版書を展す。与板町肴商、弥平次妻來りたれば蝦を買ふ。

自習、禪之妙味につき難字を研覈す。思草の序文研究、繪はがき揮毫。

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明治三十九年(1906年)十二月五日 水曜

晴。

起居身體 午前七時二十分起床、午後十時就褥。不眠。

行事交際 零時二十分出發、尋常三學年以上を引率して、槇山前の鮭漁を見る。網引二回を見たるに兩回とも漁あり、頗る愉快を覺ゆ。漁場を二時半出發して三時半歸校す。留守中、新潟のものなりとの一學生、予を訪ね來りし由なるも、其姓名を語らずして、川袋をさして行けりと、校丁の申上あり。渡辺君に團子汁の晩餐に招かる。

自習、禪之妙味、和歌。

予等鮭漁を見ゐたるをり、一隊の女學生、川の東岸よりこなた西岸に渡らんとするを見たる兒女の曰く、斎藤先生が來なさいばいいと、しきりに口ずさみながら體をゆすりて、同子を戀ふる情、いといみじうみえたり。

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明治三十九年(1906年)十二月一日 土曜

雨。

起居身體 午前七時起床、午後十時廿分就褥。身體異常なし。

行事交際 甚五郎弟より交換文學第三回分及び俳句を送りこす。

先月廿五日託したる貯金の件、其手續を濟ませて、渡辺不仙君より貯金帖を送りたまはる。

鈴廼舎遺跡保存會への寄附金募集金額、職員兒童を合して壹圓廿七錢となる。職員は十錢以内、兒童は一錢以内との諭達、郡衙よりありしものなり。寄附金申込書を同會長に宛てゝ發送す。高橋君は夕刻歸宅す。

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明治三十九年(1906年)十一月廿八日 水曜

朝雨、後晴。

起居身體 午前七時起床。學校にて。

行事交際 脇川より歸校す。長岡市菊池書店來り、學校用品懸買物代を請求す。母上より眞綿拾枚をたまはる。爲二弟より貫之等のかな手本貸せとの依頼あり、菊池氏に託して遣す。

松田誠一君へ宛て弔状。斎藤大人へ時候見舞の繪はがき状を發し、甚五郎弟へやるべき交換文の、初雪と題する新作詩一編と、外に予と脇川、爲二弟等の消息通知状を認む。高等科兒童、放課後一時間半撃劍演習をなす。夕食後高橋君と共同生活の本月分食費を勘定す。

渡辺君がりにて沐浴す。

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明治三十九年(1906年)十一月廿七日 火曜

曇、夕雨。

起居身體 午前七時半起床、午後十時半就褥。脇川にて。睡眠まどかならず。

見聞行事交際 新發田十六聯隊内の近藤幸次郎君より無沙汰見舞のはがき状來る。

渡辺さく子君來訪あり、次の件を協議せらる。

 夫勇一、先般より長岡市に出張治療院を設け、月に九回出張し、産婆、看護婦各一名をして、そを守らしむべき計畫あり。其看護婦の周旋方を、与板醫院長西田氏に依賴するの書を見たり。而も此件は兩親と妾に祕しあり。兩親は從來の患者に對して不熟の生ずる事と、かつ看護婦等に對し、よからぬ事のあらんをおそれ大に反對なり。今妾は夫を諫めて之を止むべきか如何と。

予は之に答ふるに、諫むるは善なるも、其祕事を知り給ひし根據なし、之なしとせば必ず信書の祕密を發かれたる事發覺せん。こゝに至らば、却而本人の反情を激せしめて、其結果おそるべきに至らん故、君より今之に容喙するは不可なり。予これを含みて好機に乗じて夫君の底意を質し、諫むる所あるべしとの事を以てす。

接合用有效水販賣商人來校す。有効水學校分三瓶、私用二瓶を買ふ。午後三時出發役場に至る。途中村長に會し、運動會費寄附金は募集者、學校職員と學務委員三名を以て整理處置する事を協議し、尚役場にて學校用物品購入代を請求し、學校經費調等をなしたる後歸宅す。母上は荒巻へ入附米受取の爲行きてあられしが、午後六時半歸り給ふ。

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明治三十九年(1906年)十一月廿六日 月曜

曇後はれ、寒氣頗るはげし、教室の氣温度朝の間卅七度。

起居身體 午前七時起床、午後十時十分就褥。

行事交際 松田誠一君より同父君廿三日午後四時死去、廿六日午前九時出棺葬儀との通知來る。あゝ先師高橋先生は逝き給へり。先生は予が新潟師範に在りし時、教諭として又舎監長として、長く薫陶を垂れ給ひし恩師なりき。其性篤實温厚にして、人を教ふる慇懃、生徒を監する事、頗る周到の良師なりき。師範より轉じて新潟高等女學校教諭となり、長く教務監督の任に當りて、黽勉其職を竭し給ひしが、元より健康勝れざる所ありしが、本年に至りて一層病の重りし爲、つひに職を辭して鄕里長岡に還りて、静養し給ひしものこゝに至りてなり。噫いたむべし。

禪學講話の第一讀を了る。頗る得る所ありしを覺ゆ。丈夫たるもの大に修養の印を積みて、無我の境に入らざるべからず。.大悟徹底せざるべからず。之なくんば事の大に成るなからん。

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明治三十九年(1906年)十一月廿五日 日曜

雨、午後少時大ひらの雪降り寒氣身にしむ。

起居身體 午前七時半起床、學校にて午後十時二十分就褥。

行事交際 午後一時迄、爲二弟方にて禪學講話を讀み、其後歸途につき、村上屋書店にて樗牛全集、和漢朗詠集等を買ひ、學校用フトボール代を支拂ひ、隣家に居たる高橋君を誘ひしに、留守の役を賴まれたりとの事なれば、予もそこにて讀書談話等し、午後四時出發して歸校す。千代子妹へ一昨日認めたる手状を村上屋に託す。繪はがき四枚を添へて。歸校後、貯金と貯蓄債券購求方を、渡辺繁雄君に託すべく使したるに、債券は折返し持合せあられしものをおくりたまはる。

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明治三十九年(1906年)十一月廿三日 金曜 新嘗祭

霙に近き雪の地上に積るをみる。これぞ當地今年の初雪なり。

起居身體 午前八時起床。此頃は何となく過勞の感あり、休日なれば寢坊す。

行事交際 高橋君方より新米壹斗、他に野菜等一荷をおくらる。上柳の鈴木粂次、先年學校に菖蒲を寄附し、之を知事に具申したるにより、賞状を受けたりとて、鶏卵二箇と蠶豆一撮とを謝禮としておくらる。夕食に渡辺君方に招かれ、大師講の馳走小豆粥の饗を受く。

所感 昨年の今日は我校秋季運動會を開き、豫想外の好成績を以て其局を結び、來觀者の歡喜一方ならず、予輩大に面目を施したりしが、本年今日は初雪をみ、而も雪の後は、雨、終日やまず、何たる變態ぞ。

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明治三十九年(1906年)十一月廿二日 木曜

霰又々ふることすさまじく、學校四周の水田、水を湛へて漫々たり。

起居身體 午前七時四十分起床、午後十時就褥。昨夜はやゝおそくなりて、よく眠りつき、今朝起床の時を逸す。

見聞行事交際 寺内陸軍大臣〔中將〕大將に昇進の記事、新聞に見ゆ。畫具を雲外寺に殘し、渡辺勇一君の同寺へ出張のかへりに托せらるべく賴みおきしが、今日届きこさる。勇一君より手書あり。曰く、御蔭により、すぎ子昨日より川袋校に赴任、出勤と。

校丁西村へ、當校運動用の引綱陶賃其代、本年秋季運動會に雇ひし人足料、筵の借賃等、すべて六拾錢を、運動會費中より渡す。

本日爐開をなし、炬燵を構ふ。自習、教育雑誌修養と研究の閲讀。

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明治三十九年(1906年)十一月十九日 月曜

曇。

起居身體 午前七時半起床、學校にて午後十時就褥。

行事交際 午前八時雲外寺を發して歸校、時に午後八時。

千代子妹より封書來てありき。こは十六日附なるが、昨日配達せられたるものなり。其要は、女子師範附屬小學に教授批評會あるの報知、時節がら當地方に來遊せられざれば、明春を期すとの事、友人の病を看護するため、しばらく病室に入るとの事等、尚之に新しき唱歌、題リニコバンの寫一葉添へられたり。其心ぞへ、いともうれし。

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明治三十九年(1906年)十一月十八日 日曜

午前曇、午後雨。

起居身體 午前七時過起床、昨日と同じく寺に泊り、午後九時就褥す。揮毫の爲疲勞す。

行事交際 午前九時過より二間襖に揮毫を始め、午後六時完成す。老梅圖の成績は現在の手腕として見れば、約八分のものか。今日は歸校の豫定なりしも、揮毫時間豫定を超えたる爲、之を果さゞりき。

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明治三十九年(1906年)十一月十七日 土曜

はれ。

起居身體 午前六時起床、午後十時上川西村大字宮關雲外寺に泊りて就褥。

行事交際 さきに宮關雲外寺老僕の依囑ありし、御堂襖の梅の畫揮毫の請を充すべく、長岡より雲外寺に行きて泊る。

今日また芹川の角力興行追加催をなせり。

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明治三十九年(1906年)十一月十五日 木曜

快晴、あたゝかなり。

起居身體 午前六時起床、學校にて午後十時就褥。

行事交際 在京兄上より來書あり。判檢事辯護士登用本試驗成績は去ぬる十一日發表あり、双方にて九十名の合格者ありしも、予は殘念にも其選にもれぬ。しかし合格者中知人も七名ありて、其學力の程も大方知れをり、自己に比してさまでの徑庭ありとも覺えねど、彼等は數年前より準備専攻の士なれば、其成績各科に通じて大失敗なかりしものにてありき。されば來年は確的及第を期して、今より必然的準備にかゝりたる故、何卒實家の一事を依頼すと。

あゝ殘念なり、されどこれ他を怨むべきにあらず、むしろ及第を希ひしは即ち僥倖を欲する事たりしなり。何となれば未だ専心準備に盡くし給ひし時間の甚しく足らざりしを以てなり。

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明治三十九年(1906年)十一月十四日 水曜

晴。

起居身體 午前七時起床、午後歸宅して十時過就褥す。

行事交際 長岡中學生、鈴木祐七郎君より、來る廿三日長岡中學校に於て、創立卅五年記念を機とし、大教育品展覧會〔實は小なるべし〕を開くべきにつき、來觀ありて畫に對し批評あれとの案内状來る。午後一時過より川西教員協議會を開き、二件の協議をなし、三時半閉會す。午後四時出發歸宅す。母上は与板寺院に來詣し給ひて歸りたまはで留守。姉上、何事にてか榮殿を懲抛せられつ、あまりにむごき教育方針なるかな。

姉上に對し飯米譲受の請求をなす。

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