« 明治三十九年(1906年)八月廿日 月曜 | トップページ | 明治三十九年(1906年)八月廿三日 木曜 »

明治三十九年(1906年)八月廿二日 水曜

晴と雨。

起居身體 午前六時半起床、午後十時就褥。身體常。

見聞行事交際 午前は學校にて倫理講演集を讀む。零時四十五分出發して、七日市斎藤大人を訪うて、かの千代子君貰受の決答を求む。予が同家に行きたる時、大人は學校に出勤せられてありしが、使の報知によりて歸り來られ、一應の挨拶が終るや間もなく「過日の談について入來せられしならんが、過日も申上げし通り、此件は何卒不調と諦めありたし」との答あり。予は之に對し御當家及び御本人の事情如何を察せずして、唐突に願出しは實に已むを得ざる事情のあるにてなる事は、すでに前に申述べたるところにて、もとより御承諾あるにしても、之に關して如何なる條件を附したまふも、更に苦しまず、甘じて拝領する覺悟の事故、何卒予が方の事情もお察しありて、尚お考へたまはりたしと懇請す。されど返答は同じく前言を繰返さるゝのみ。こは察するに千代子君が芹校に在職のをり、丗八年春頃に於て、既に予と何かの關係の契を結びおきしか、又同一校在職の二人の結婚は、多少世人の邪推をかもし、とかくの風評もせらるゝ事もあらんとの杞憂を持しゐらるゝにてなるべし。予は是等世人の風評あらんの虞は、とくより自からも懸念しをる事なれば、無論これに關して充分の注意を拂ひ、今この契約成りたりとて、社會に發表する事は後にし、出來得るだけ世人に知れざらんを力むる胸なれば、此件について決して心を痛めたまはず、御一考をたまはれ。尚御言葉の趣もあれば、歸宅して母と相談の上、何れまた折をみて御伺ひに參るべければ、何卒いま一應、御一家の御相談を經させたまへとて、午後六時五分辭し、七時廿分歸校す。聞く所によれば千代子君は昨夕刻歸宅せられ、本日午前また出岡せられしと。あゝ君はさぞ予を待ちたまひしなるべし。一昨日會ひし時、廿二日早朝に御實家へまゐらん胸算なりとの事を洩らしたればなり。もと此豫定なりしも、本日朝食を終へたる時すでに八時廿分となり、昨日弥平次妻借金に來るべき約なりしに來らざりければ、本日來らんかの疑もあり、つひ午前の出發を見合せるに至りしなり。弥平次妻は午後予が留守中に來りしよし。夕食後眼疾の治療を受く。

所感 あゝ残念なり。予が望の果されで斎藤大人、などてかくも頑強に拒み給ふらん。よし兩人が昨年春に於て、内契約をしたりとて今之を拒みて何のかひがある。むしろたゞ心を痛むるの害あるのみ。また今契約したりとて之を直に發表するものにあらざるを、などて世人の風評をおそれん。よし之が世人に洩れて風評をかもすに至らんとも、かくも予が懇請するに比すれば、かれを捨てゝ之を採り給ふも可ならずや。さはれ今成らじとて斷じて心は屈せず、時の至るを待つべし。將來に於て必ず之を貫徹すべし。それ迄はたゞ黙して期を待つ事とせん。

|

« 明治三十九年(1906年)八月廿日 月曜 | トップページ | 明治三十九年(1906年)八月廿三日 木曜 »

ある明治人の日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/513752/43282964

この記事へのトラックバック一覧です: 明治三十九年(1906年)八月廿二日 水曜:

« 明治三十九年(1906年)八月廿日 月曜 | トップページ | 明治三十九年(1906年)八月廿三日 木曜 »