明治三十九年(1906年)五月十三日 日曜
雨。
起居身體 午前五時半起床、午後十時半就褥。身體よし。爲二殿方に泊る。
行事交際 午前校務を整理し、午前九時出發長岡に行き、藤田一石君方にて晝食をしたゝめ、岡田師を訪ふ。
此日、予等三人が明治三十六年夏より繪畫を研究し來りしは、一の會とみなすべきものなりとて、其會名を撰び、三人の會といふより三笑會と名づく。
午後四時過、今回長岡中學に赴任せられたる、畫教師杉山俊造君を岡田師と共に訪ふ。君は年齒若きも小方子の風あり。美術學校卒業生にして在學中は、川端派を學ばれたものゝ如し。五時過こゝを辭し、村田冶六郎君を訪ひ、かねて依頼しおきたる佐々木家開田計畫を官廰に對しても脱すべき手續を質せしも、尚取調つかずの答。それより弟爲二殿を訪ふ。恰も今日母上の來遊ましゝゝけりとの事なりし故こゝに泊る。夜、校用二三を足す。
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