明治三十九年(1906年)一月四日 木曜
起居身體 午前九時過起床、身體は疲れたる氣味なれど、さほどに衰えたりともおぼえず。
行事交際 朝食を喫する頃、すでに日中の説教に詣で來るもの多し。朝食ををへ支度をとゝのへて、池田紀宗太氏へ年禮の爲に出でたつ。此時十一時過にして説教ははじまれり。池田氏に至り例により手拭壹筋を呈して年禮を述べ、同家が一昨年火災にかゝり、昨年新築なりしものゝ屋内を一覽し、辭して、阿部氏に行き、佐々木家の耕地の處置問題及び東京移住問題につき一應の協議をなし、午後二時同氏に請うて、共に脇川新田村協議會に出席す。協議は午後三時に至りて會するもの阿部氏を除きて十七名となり、こゝに閉會し七時終る。予と開田者との交渉協議の結果、佐々木家の耕地は一括して向島中脇川新田耕地の北端にとりまとむる事と決し、予が意の殆どみちたる協約成る。此時阿部氏は耕地の實地について、予が不案内の點をきかまほしく、顧問として立會を請ひたるにて、之ありしにより大に協議も進行し、早く決定をみるを得たるなり。
歸宅後直に阿部氏と共に夕食を喫し、母上、姉上と四名して炬燵を守りて協約の結果をものがたり、次に東京移住の諸件につき協議し、翌日一時過就褥す。
所感 本日の交渉協議は頗る其協約の結果よろしく、予はステッセルが露國の講和全權委員として勝利を得たりしかの如き思をなしぬ。
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